軍事都市広島の歴史を物語る「輜重隊遺構」の撤去を中止してください

軍事都市広島の歴史を物語る「輜重隊遺構」の撤去を中止してください

開始日
2021年9月5日
署名の宛先
広島市長
現在の賛同数:561次の目標:1,000
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この署名で変えたいこと

署名の発信者 加害の歴史から広島を考える会

今年6月、地元新聞の報道で、広島市中心部のサッカースタジアム建設予定地から、約6千平方メートルもの中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(以下、輜重隊)」の被爆遺構が発掘されていることが明らかにされました。輜重隊とは旧日本陸軍の部隊の一つで、戦地で馬や自動車を使って武器や弾薬、食糧などを運搬する役割を担った部隊のことです。

この輜重隊遺構について、広島市はサッカースタジアム建設予定地であるので遺構は撤去して記録保存に留めるとし、当然行われるべき市民への一般公開も新型コロナウィルス感染症の状況を理由におこなわないとしていました。このことを知った市民などから疑問の声が上がりましたが、松井市長は方針を少し変更して一部の遺構を切り取って別の場所で保存すると一方的に表明しただけでした。詳細な調査もせずに遺構の撤去を決定し、サッカースタジアムの建設を強行しようとする市の姿勢に対して、市民団体、被爆者団体や日本考古学協会、埋蔵文化財の専門家などが次々に申し入れをおこないましたが、市はついに9月4日に遺構の撤去・切り取り作業に着手してしまいました。

しかし、作業が始まったのは広大な遺構のうちごく一部にすぎません。今からでも作業を一旦中止し、詳しい調査をおこなった上で撤去の方針を再検討し、遺構の保存とスタジアム建設を両立させることを求めるため、緊急のオンライン署名を立ち上げました。

軍事都市広島と輜重隊の歴史を物語る

この輜重隊遺構は爆心地から約750メートル付近にあり、原爆によって破壊された被爆遺構です。しかし、それだけではありません。この遺構は、広島が単に原爆によって甚大な被害を受けた都市であるだけではなく、「軍事都市」として侵略戦争を支えた負の歴史を背負っていることを象徴するものでもあります。広島は武器や弾薬、軍服、兵士の食料などの軍需品を生産することで繁栄していた上、広島の港からは多くの日本軍兵士が戦地へ赴きました。広島で生産された軍需品は、全国から集められた軍需品とともに広島の港から戦地へと運搬されました。広島の輜重隊は、こうして広島の港から戦地まで船で運搬された軍需品を、戦場において軍馬や自動車、人力で輸送する役割を果たしていたのです。

また、輜重隊では、軍馬は大切にされていた一方で、輜重兵たちは単なる「消耗品」として扱われ、前線で戦わないという理由で他の兵士からも蔑まれ、部隊内での日常的な暴力や自殺などもあったといいます。戦後の日本を厳しく批判し続けた写真家の福島菊次郎は、広島の輜重隊に二度も入隊し、そこでの壮絶な経験が「戦いを指示する者とそれに従って犠牲になる者」という戦争の構図に気づくきっかけとなったと語っています。輜重隊の遺構は、戦争や軍隊がいかに人間を使い捨てにするかという大切な教訓も物語っているのです。

「国の指定文化財に匹敵する」と専門家

広島市は、専門家の見解を聞く前から「遺構の保存状態は良くない」と決め付けていましたが、現地では軍馬の厩舎の基礎部分や、馬の水飲み場などが位置関係などもそのままに極めて良好な状態で残されていました。ある考古学の専門家は、「極めて良い状態で残っており、全国的にも例がないのではないか」と言います。綿密な調査をおこない、残されている文書資料と対比することで、今は良く分かっていない輜重隊施設の拡張工事などの変遷が明らかになる可能性もあります。市民だけでなく、考古学の専門家もこの輜重隊遺構の重要性について「国の指定文化財に匹敵する」と指摘して撤去に反対しているのです。

専門家の意見すら軽視し強行する広島市

ところが、広島市は出土した輜重隊遺構について、市内の文化財の保存及び活用にあたって指導・助言する役割を果たす広島市文化財審議会を一度も開いていません。また、遺構の撤去について審議会委員の承諾を得たとしていますが、10人いる審議会委員のうち唯一の埋蔵文化財の専門家が遺構の撤去に反対意見を述べていることは、広島市も認めていることです。さらに、考古学研究者らの全国組織である日本考古学協会は、広島市に対して「市民、学識経験者の意見を広く聞き、遺構の重要性と価値を十分に検討した上で適切な保存対策を取る」ことを求める要望書を提出しましたが、市の回答はこうした専門家たちの意見を一顧だにしないものでした。

文化財は誰のものか

広島市は「市民の声を聞いて工事を進めている」と繰り返しています。しかし、被爆者団体や市民団体らによる保存を求める意見書に対して市は、スタジアム建設は市議会での予算承認手続きを経て正当に進めているものだとして、耳を貸そうとしません。中央公園でのサッカースタジアムの建設自体は議会での承認を得ているとしても、それはこうした遺構が発掘される以前の話に過ぎません。そもそも、文化財は市民のものであって、行政はそれを適切に保存する義務があります。このような重要な遺構を、市議会での議論を経ず、市民に広く公開することもなく、行政の独断で取り返しのつかない撤去・切り取り作業を進めていることは、市民の財産たる文化財を軽視しているだけでなく、民主主義に反するもので到底容認できません。

「記録保存」「切り取り保存」は保存ではありません

広島市は、撤去する前に「記録保存」しているから、と文化財を尊重しているかのような姿勢を示していますが、遺構が出土した際にまず記録を取ることはあまりに当然であって、「記録保存」は保存とは言えません。こうした表現は、遺構を一方的に撤去しようとしている市の強引な進め方を誤魔化そうとするものです。また広島市は、市民の声を踏まえた結果だとして、遺構を一部切り取って別の場所で活用する方針を打ち出し、9月4日には実際に切り取り作業を開始しています。しかし、それは出土した遺構約6千平方メートルのうち、厩舎の石畳25枚などたったの約23平方メートルです。そもそも、遺構はその土地の歴史と結びついたものであって、表面だけ切り取ったり別の場所で保存したりという行為自体がその価値を著しく低下させるものであって、本来の保存とは言えません。

「国際平和都市」にふさわしいスタジアムを

新しいサッカースタジアムは、サッカーファンだけでなく広島市の活性化に期待する多くの市民にとっても待望の施設です。しかし、それはこのように貴重な輜重隊遺構を、十分な議論なく取り返しがつかない形で撤去するしかないほど、緊急性の高いものなのでしょうか。むしろ、スポーツの名の下でこうした遺構を破壊することは、スポーツと平和を結びつけようとしてきたこれまでの広島の平和行政の歩み、そしてたびたび被爆地広島について言及してきたサッカーチーム・サンフレッチェの歩みにとって、不名誉なものとなりかねません。サンフレッチェのサポーターからも、禍根を残す形でホームスタジアムが強行的に建設されようとしていることに対して、疑問の声が上がっています。このままでは、せっかく市民による多額の税金を投じて建てられる新しいスタジアムが、市民に歓迎される形で開業することが叶わなくなるかもしれません。

遺構とスタジアムの両立は可能です!

すでに遺構の撤去・切り取り作業が始まってしまった以上、この輜重隊遺構を完全な形で残すことは不可能となってしまいました。しかし、たとえ全部ではなくとも、今作業を中止すればかつての軍事都市としての歴史や、巨大な軍事施設のスケールを市民が身近に感じられる貴重な遺構として残すことができます。また、考古学の専門家は、「遺構を強化ガラスなどで保護してその上に巨大な建築物をたてる手法は、海外だけでなく国内にも多くの事例があり、市民が遺構を見学できる形でサッカースタジアムを建設することは可能である」と指摘しています。スタジアム建設と遺構の保存は、決して両立不可能ではないのです。

広島市長、広島市議会議長に対して、輜重隊遺構の撤去・切り取り工事を一刻も早く中止し、現地保存を求める市民や専門家との話し合いに誠実に応じるよう求めます。またサンフレッチェ広島に対して、輜重隊遺構の保存についての見解を明らかにするよう求めます。

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意思決定者(宛先)

  • 広島市長
  • 広島市議会議長
  • サンフレッチェ広島