JRも他の鉄道会社と同様に、車いすユーザーが何本も電車を見送らずに電車に乗れる駅間連絡の仕組みを作ってください!

JRも他の鉄道会社と同様に、車いすユーザーが何本も電車を見送らずに電車に乗れる駅間連絡の仕組みを作ってください!

開始日
2022年4月4日
現在の賛同数:44,691次の目標:50,000
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この署名で変えたいこと

署名の発信者 H Miku

◆知っていますか?

皆さんは、発車時刻に間に合うように駅のホームにいたにも関わらず、目の前の電車に乗れなかった経験はありますか?

私達車いすユーザーは、発車の10分前、場合によっては20分前の電車にも、乗れないことが日常的にあります。

 

それはなぜか。

全国のJRでは、スロープを使う車いす利用者の案内が「降車駅に連絡がつくまで、私達を電車に乗せられない」という原則ルールに則っているからです。たとえ電車に乗っている時間が30分あったとしても、電車に乗っている間に連絡をするということはできず、降車駅に連絡がつかない限り目の前の電車に乗ることはできません。

実際に、私や他の車いすユーザーは目の前で何本も電車を見送り、暑い日も寒い日も他の人の何倍の時間もかけて電車を待つという経験を何度もしています。

 

次の電車が到着するまであと10分もあるのに、当たり前のように「連絡が間に合わないので次の次で〜」と言われることもたくさんあります。

乗車駅の駅員さんが頑張って急いでくれても、連絡した降車駅の駅員さんに「次は急すぎるから」と断られてしまうことも少なくありません。

 

◆「優しさ」という運の中で

もちろん、3分後につく電車に乗れるようにものすごく急いでくれる駅員さんもいるし、顔見知りになると早く対応して下さることもあります。私達も駅員さんの対応を考慮して早めに駅につくように心掛けてもいます。

それでも、顔見知りでない駅員さんだったり、車いす対応に慣れていない駅員さんだったりすると、20分くらい待たされてしまうこともあり、「どの程度余裕を持てば確実に乗れるのかが分からない不確かさ」や「優しさという運」の中で私達は生活をしています。

 

でも、実際に私達がそんな生活をしていることはあまり知られていません。JRの仕組みを伝えたところであまりよく分からない人も多いかなと思うと、その度に周りの人に事情を説明することに疲れてしまって、遅刻の理由を自分の体調不良だと嘘をつくこともありました。

 

そんな経験をする度に、「本当は私のせいじゃないのにな、むしろ余裕を持って出たのにな」「私達車いすユーザーは、どの電車に乗せても良いと思われているのかな」「目の前の電車に乗りたいって、そんなに特別なことなのかな」と、何とも言えない悲しみや悔しさが込み上げてきます。

私達車いすユーザーは、ただただ電車に乗りたいというわけではありません。通勤通学、お出かけといった、歩ける人と同じように「目的」や「時間の制約」を持った交通手段として電車を使う人がほとんどです。

だから、歩ける他の人と同じように、目の前の電車に乗る「必要がある」のです。

 

◆問題は「人」ではなく、「仕組み」

私は、JRの現場の駅員さんを責め立てたいわけではありません。駅員さん個人ではなく、「車いすユーザーは目の前の電車には乗れないもの」という前提のもとに成り立っている「JRの仕組み」を変えたいのです。

顔見知りの程度や、駅員さんの優しさに依存する仕組みではなく、「いつでも目の前の電車に乗れる」そんなJRの仕組みが必要なのです。

 

JR以外の私鉄では、車いすユーザーが目の前の電車に乗るということが大抵叶っています。これは、降車駅に連絡がつかなくてもまず私達を電車に乗せてその間に降車駅へ連絡をする、もしくは降車駅への連絡がすぐにつく仕組みが確立されているからです。

他の私鉄各線でできていることなら、きっとJRにもその仕組みは導入できるのではないでしょうか。

 

こんなことを言うと、「わがままだ」という方もいるかもしれません。「車いすなのに電車に乗せてもらえるだけありがたいと思わないのか」と。

でも、私達は電車に乗れることがありがたくないと思っているわけではありません。駅員さん達には本当に感謝しています。

ただ、私達は好きで障害者になったわけでもないのです。感謝する、しないという「感情」が問題なのではなく、自分で選んだわけでもない「障害者」という立場に自分がたまたまなったというだけで、歩ける人が当然のようにしている「目の前の電車に乗る」という行為が制限されてしまう「事実」が問題なのです。

 

今から40年ほど前、私達車いすユーザーが公共交通機関に乗ることがわがままだと言われていた時代がありました。障害者は家で大人しく過ごしていれば良い、他人に迷惑をかけるな、と。

そんな社会の風潮に対して、当時の障害者とその仲間の健常者達が声をあげ、駅のバリアフリー化が進み、法制度が整っていったという背景があります。いま、私達が当たり前に公共交通機関を利用できるようになったのは、いつの間にか自然にそうなったのではなく、そうした人達の努力があったからです。

「障害者のわがままだ」と言われていたことが声をあげたことによって変化し、今では当たり前の光景として見られている。それができたなら、きっと次のあるべきステップは、「車いすユーザーでも目の前の電車に乗れる」ということだと私は思っています。

 

◆「かわいそう」の解決策

私は、「車いすに乗っていてかわいそう」と言われることがあります。

でも、その言葉の背景にある本当の問題は、私が車いすに乗っているということそのものではなく、「車いすに乗っていることで生まれる社会的不利益」だと私は思っています。車いすに乗っていても乗っていなくても、みんなに公平な機会を与えられれば、目の前の電車に乗ることができれば、私達は歩ける人と変わらない生活を送ることができます。

つまり、私達がかわいそうだと言われる原因をひとつなくすことができるのです。私達がかわいそうだと言われてしまう前に、みんなでその視点を変えていける解決策があるのです。

 

現場レベルで起きていることを責めても何も変わりません。必要なことは、なるべくたくさんの声を、然るべきところに、確実に届けるということ。

そのために、皆さんのお力を貸して下さい。

「みんな」に、障害の有無は関係ありません。

障害の有無に関わらず、全ての人が乗りたい電車に乗れる社会に近づくために、障害のある人がかわいそうだと言われなくても済む社会を創るために、皆さんの声を一緒に届けられますように。

※画像はJRではなく、広島電鉄さんのものです。広島電鉄さんの車いす対応がいつ乗っても素晴らしくとても印象に残っており、「JRもこんな風に乗りたい電車に乗れると良いな」という私の思いを込めてこの画像にさせて頂いています。この署名活動は広島電鉄さんとは関係がありませんのでご了承ください。

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